今回のイベントは、「予定していた通り」に、スケジュールの変更や予定外のアクシデントに、何度も見舞われました。 でも、その変更はどういうわけか、良い方向に変わるので、結果的には大満足の7日間になりました。 参加メンバーは、日本との違いをすぐに受け入れ、全員が、協力して臨機応変に対応できたことも、 今回のイベントを楽しくした大きな要因の一つだったと思います。

マレ島の宿泊先は、現地の旅行会社にその手配をお願いしていました。 と、言うのも、マレ島ではインターネットが使えず、シャバドランの所有者、ダマスさん宅にはFAXがなく、 唯一の連絡手段である電話に出る人が家を空けていることが多く、 たまに子供が電話口に出ても、ダマスさんに伝言が伝わらず、しかもニューカレドニアの公用語がフランス語だったからです。

タクシーがない、コンビニもない、トイレがない、シャワーがない、あっても便座が無かったり、お湯が出なかったり、 ということに、まったく不満は感じませんでした。 マレで出会った人々には、そんな些細なことを消し去るだけの優しさと大らかさとパワーがありました。

マレの人々のその優しさに甘えている自分が、申し訳ないような、何かお返しをしたいような気持ちが沸いてきました。 しかし、お返しするものは、何がいいのでしょう。 マレよりも進んだ電化製品のようなものではなく、きっと大勢の観光客を連れて行くことでもないのだと思います。 あの美しく豊かな自然と、マレの人の優しさをそのままに残してもらうために、 その邪魔をしないことが、一番のお返しなのかもしれません。



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一つ目の出来事。
11月30日朝、ニューカレドニアの本島(グランドテール島)に到着早々、現地旅行会社からスケジュールの変更が告げられた。 今回のメインイベント、シャバドランビーチの所有者であるダマスさんの都合により、 1日(月)に行くはずだったシャバドランへのトレッキングが2日(火)になったのだ。

二つ目の出来事。
午後1時発マレ島行きの国内線に搭乗するため、空港へ向かう送迎担当のジョージの話によると、 私たちが乗るはずだった飛行機がキャンセルになった。 マレ島に飛ぶ国内線は朝、昼、夕の3本のみ。 「ひとまず、1時の飛行機は飛ばないので、町に戻って、ランチして来て下さい」。 入った店はイタリアン。ニューカレドニアでの初めての食事は美味しかった。


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果たして、今日中にマレ島に着くのだろうか?


ふたたび、ジョージの車で国内線空港に到着した。 チェックインカウンターが開くのを待つ。ジョージにに言わせると、 「この国で、この程度のことは日常茶飯事。貴方たちは、島に滞在するから良いけれど、 日帰りの予定だった人は、帰りの飛行機がないから、シートがあったとしても島に渡ることはできないんです」。

やっとチェックインが始まった。夕方の便には当初から予約している搭乗客がいるため、私たちは後回しにされる。 昼にあぶれた人の分までシートがあるのだろうか、と不安な想いでひたすら待つ。

「トラブルや予定外のアクシデントに、その都度対応し、現地の人々の生活ぶりを垣間見ることで、 日本では感じることができない『何か』 を見つけに行きましょう」 というのが今回のイベントの『コンセプト』だ。 参加メンバーは、「こんなものか」と我慢強く待っていたのだが、 このキャンセルで島に渡れなかった他の乗客が、声を荒立てている場面を目の当たりにすると、 流石に「今日中にマレ島に行けるのかしら」という気持ちになってくる。 乗れなかった時のことは、あまり考えないようにしてさらに待っていると、 とうとう、搭乗できることが判明。チェックインを完了した。


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国内線のプロペラ機にはボディにも機内にも絵が描かれてる。


プロペラ機でマレ島に到着したのは午後7時。すでにあたりは暗くなっていた。 小さな、小さな空港で、荷物も無事に引き取り、ホテルお迎えのワゴン車に乗り込むのだが、 私たち6名の他に、フランス人客が3名。車は、せいぜい8人乗り。

ドライバーは近くにいた親子3人の一般人に交渉し、荷物を載せてもらうと言う。 フランス人客の通訳で、ホテルに向かうお客のうち二人はこの親子の車に乗せてもらわねばならないことが分かる。 小山さんと中田が乗車。 10個くらいの知ってるフランス語の単語と、中田よりも下手な相手の英語と 「スシ」「サシミ」など世界的に知られている日本語単語で、ホテルまでの50分の車中をもたせる。

午後8時、ホテル到着。ウェルカムドリンクは綺麗なオレンジ色で美味かった。 すぐにコテージに入る。夕食は8時20分までなので、急いでレストランへ。 メンバーはそれぞれに、肉、焼き鳥、魚料理を注文。あまり感動的なお味ではなかった。


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マレ島唯一のホテルではコテージに泊まる。


約束の時間を10分ほど遅れてダマスさんは登場した。 初体面のダマスさんは、ぷっくりと出っ張った丸いお腹に、いかついお顔の割には、 どことなく遠慮がちに握手の手を差し出した。

まずは、自己紹介。「ジュ マ ペール中田」と言ったのが運のつき。 その後、何か用があるときは「ナカダ〜ア!」と大声で呼ばれることになる。 メンバーみんなと握手をして、車に乗り込んだ。 海岸沿いに出るとダマスさんが叫ぶ「イルカだ!」300mほど沖だろうか。イルカらしき背びれが4〜5枚、動いてた。


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カメラを向けるとポーズをとるダマスさん。


車のリアミラーに白い花のレイがかかっていた。いい香がする。 花びらが五枚の花でティアレという。 香をかいでいる姿を見て思い出したかのように、ダマスさんが寄り道をすると言って到着したのが、 ビャクダンのオイルを製造する工場。 そうだ、この花の香りは、ビャクダンに似ている。

小さな工場には、材料の木と、それを細かく砕いたものと、釜のような金属でできた円柱の装置がある。 その装置を通過して、出てきたものが透明なオイルで、いい香がする。 肌につけると良いらしい。しばし、見学した後、ここからダマスさんの息子のひとり、ティアが同乗する。


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ビャクダンのオイル工場   ティアレ

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ビャクダンオイルの原料   お釜


ダマスさん宅到着。フランス人客の男女5名が待っていた。 女性のひとりが通訳してくれた。 「同行するのはフランス人の男性2名。私たち女性3名はお留守番なの。 この男性2名は日帰りだけど、貴方たちは、ビーチで寝るから、寝具の用意を忘れずに。 でも行程は長いから荷物はなるべく少なくしてね」。ここで、初めてビーチに泊まれることが発覚する。

初日に現地旅行会社から聞かされた変更は日程のみで、宿泊は予定通り、 ダマスさん宅敷地内にテントを張ることになっていた。 シャバドランには是非、宿泊をしたい、と当初から希望を出していたのだが、 「ビーチに建ててあった小屋を撤去してしまったので、もうビーチには泊まれない」 とダマスさんから断られたのが出発の2ヶ月ほど前だった。 残念だが、所有者の意向では仕方がない、と諦めていただけに思いがけない「アクシデント」に大喜び。

メンバーは日帰りのつもりでパッキングをしてきたので、急遽、荷物の入れ替えをするという事態に大慌て。 「もう、出かけるから早くして!」と急かされながら、ワタワタとパッキングのしなおしをする。 お陰で、シャバドランには、いくつか必要なものを忘れ、要らないものを背負っていく羽目になった。


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ダマスさん宅で出迎えてくれたファミリーたち


私たち6名とフランス人2名、ダマスさんとティアが荷台のあるトラックに乗り換えて、トレイルヘッドまでの道を突っ走る。 しばらく行くと舗装道路から椰子の木の森へと続くダートに入る。 森を抜け、海面近くの草原に出るとしばらくしてトラックが止まった。 ダマスさんの家から40分ほど走っただろうか。ここからティア君の後について歩き出す。

なだらかな草原にある踏み跡は徐々に高度を上げていき、海面から50mほどの断崖絶壁の際を歩くことになる。 山側も垂直な岩壁が続いている。茂みの薄暗いところには半分に割った椰子の実が、木の棒に突き刺さっている。 どうやらヤシガニのワナのようだ。 ちょうど拳くらいのサイズのヤシガニが近くにいて、ティア君が見せてくれた。 「これ、食べるの?」「食べないよ、魚のえさ」、と言っていたように思うのだが、 翌日の昼食には大きなヤシガニを出してくれた。多分、見せてくれたヤシガニは小さすぎて食べない、という意味だったようだ。


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トレイルヘッドはなだらかな草原で、向こうには切り立った岩壁が見える。

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トレイル横からせり出す枝やツルなどを、ナタで払いながら進むティアの後に続く。


30分ほど歩くと、3mほどの岩壁があり、よじ登ることになる。 ティア君はロープを出して、荷物を引き上げてくれた。 珊瑚でできた岩肌は掴みやすいガバばかりなのだが、とがっていて手が切れそうに痛い。 しばらく、このゴツゴツとした、歩きにくい岩のトレイルを進んでいく。 歩き出してから1時間ほどで着いた絶景ポイントで休憩。ここからグッと下って、また海面に近づいていく。


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難所を過ぎると絶景が待っていた。

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珊瑚が固まってできた岩のトレイルはバランスをとりながら歩く。


炎天下の中、歩き続け、メンバーも少々疲れてきたところで、背の低い椰子の木の木陰に到着。 ここでも少し休憩。手の届くところに青い椰子の実があって、 「これ、飲めるかしら」とティア君にお願いすると、良さそうなのを二つ採ってナタで飲み口を作ってくれた。 中にはタップリの水が入っていて、味は薄いサイダーのよう。 後からゆっくり歩いてきたダマスさんも合流した。

森を抜けると、小さなビーチに着いた。 「ここ?」「もうちょっと先」ということで、もう一度森に入り、さらに15分ほど歩くと、果たして、シャバドランに着いた。


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気温はさほど高くは無いが、日差しが強いので木陰は有難い。


歩いてきた椰子の森の向こうに広がる湾曲したビーチは真っ白な砂浜で、長さ200mくらいはあるだろうか。 砂浜の右端に大きな岩がひとつ。上部には白い花をつけた木が生えている。 向こうにある岩の棚に囲まれて、浅いプールのようになっている。

砂浜の手前には椰子の森。 ブルーシートの下にテントがすでに4張り張ってある。 ダマスさんファミリーとスタッフ用のテントだ。 そこにいた人たちは、ざっと見回して、5〜6人。 6畳くらいの広さのスペースに柱をたてて、乾かした椰子の葉を上部に載せて日陰を造っている人もいる。 これは、私たちのためのリビングだ。

私たちが到着すると、テーブルの上に食事が並べられた。 ボイルした巨大な伊勢海老、魚の南蛮漬け風、芋、ご飯、ココナッツサラダと椰子の実のジュース。 マダム・ダマスは椰子の葉で虫を追いながら、待っていてくれたようだ。

私たちとフランス人男性2名はテーブルに群がり、そのお料理を頂く。 立食だったからか、美味しかったからか、なぜだろう、悔しいかな、大急ぎで食べてしまう。 お料理を載せたお皿も、エビのからを入れるカゴも、バナナの葉を上手に編んだものだ。 美味しい、美味しいと、喜んで食べているのを見て、ダマスさんは満足げな顔をしていた。


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マレ島の秘境の地「シャバドランビーチ」

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岩棚に囲まれた「プール」は珊瑚礁の海。

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お腹も一杯になったところで、フランス人のひとりダミアンの通訳で、ダマスさんの注意を聞く。 テントは何処に張っても良い。トイレは森でも、海でも、何処でしても良い。 岩棚の外側、外海は深く、波もあるので、危険だから行かないように、以上。

ダマスさんにお土産の剣玉を渡した。やって見せると、ダミアンたちと一緒にしばらく遊んでいた。

女性たちは、森の中にあるダマスさんのテントの横に、赤穂さんはひとりビーチにテントを張った。 着替えて、さっそく海へ。岩棚の内側は浅く、棚まで自由に行き来ができる。 ここの棚もゴツゴツした岩なので、サンダルを履いたまま海に入る。 歩きながら、珊瑚や、小魚や、ウニ、ナマコなどを観察する。


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ファミリー間では島の言葉で話しているようだが、フランス人の二人とはフランス語で話す。どちらも話せないのがなんとも残念。


ダマスさんが息子の一人を連れて、漁に出る。 1.5m程のポールの先にヤジリがあって、引き金を引くと飛び出す仕組みのモリを持って、外海に向かっていった。 赤穂さんも同行する。

女性たちが海で遊びつかれ、水着からTシャツに着替えた頃、大量の魚とウニをもって、男たちが戻ってきた。 採ってきた魚は、直ちにフォークでうろこを取り、内臓を出す。 ウニはその場でナタで割り、レモンを絞って皆に振舞ってくれた。


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男たちが海に出る。

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同行を許された赤穂さんはダマスさんとの漁を堪能したようだ。

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ウニのトゲは平たく茶色い。魚のウロコは、ひしゃげたフォークで手早く取る。


マダム・ダマスが、夕食の準備を始めた。 巨大な笹団子のような丸いものを、大きなお鍋に入れて茹でている。 これがブーニャ。魚やヤム芋をバナナの皮で包んで蒸し焼きにする現地の郷土料理だ。 しばらく茹でた後、椰子の枯葉や茶色くなった実に火を熾して、巨大笹団子を中に入れる。

別のチームは焼いた大きなシャコガイの身を採って渡してくれる。なんて贅沢なオヤツだろう。


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上手に編まれた「笹団子」は蒸す前に茹でる。

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乾いたバナナの葉にはすぐに火がつく。


日が暮れてきた。ゴザに座ったダマスさんに呼ばれ、みんな集まると、美味しいワインを出してくれた。 ボルドーの赤。

席をリビングに移し、丸い浮に突き刺した蝋燭の火の元で、ブーニャを頂く。 15cmくらいの魚とヤム芋が沢山詰まっていて、ココナッツミルク味。 ココナッツミルクが良く染みた下の方に行くほど、ますます美味しくなっていく。 どういう仕組みなのか、何時までたっても、湯気が出るほど暖かい。 バナナの葉と葉の間に焼いた石が挟んであるのではないかと、探してみても、それらしきものは無く、なんとも不思議。

食事は常に、客人である私たちだけにされる。 最初はダマスさんがそこに居て、私たちが夢中で食べ始めると、すっと席を立って、自分たちのテントの方に移ってしまう。 四人の息子たちやスタッフの皆さんと一緒に食事をしたいのだが、そういうシステムではないようだ。

振舞われる食事は、いつも食べきれないほど多く、 しかも、綺麗に食べ残すことが難しいものなので、どうしても食べ散らかし状態になってしまう。 その食べ残したものを、つまんでいる人たちもいて、なんとも心苦しい。


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何時の間にあんなに人が入っていたのだろう。夕暮れの海から若者たちが帰ってきた。

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ダマスさんの味覚に間違いは無い。「美味しい」と感じるものは同じようだ。


食事が終われば、後は寝るだけなので、早々に皆テントに入った。 島の人たちは、朝が早いが、暑い盛りにお昼寝もしているので、夜は夜でゆっくり楽しんでいるようだった。 自分たちの食事は別に用意していた。

次の日の朝、目覚めると、昨日よりも汐が退いていて、プールの奥の方までさらに簡単に歩いて行けた。 昨日は海の中に居た珊瑚が顔を出している。

砂浜にはヤドカリが大小20匹ほどうごめいていた。 自分の家を決めたものは、早々に動き出すのだが、3匹が固まって動かない。 どうやら1匹の入っている貝をもう1匹が横取りしたい様子。 さらにそいつの後ろからちょっかいを出しているものもいる。三つ巴の戦いのようだ。


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他のヤドカリの攻撃にじっと耐える先住者。ふちが欠けているのに、なんで人気が集中するのだろうか。


パンとジャムとお茶の朝食を頂いた後、椰子の木に登って遊んでいると、ダマスさんに呼ばれた。 「今日も魚を採ってくるから、キッコーマン(醤油)もあるし、サシミを作りなさい」。 日本人は誰でもお刺身が作れると思っているらしい。 日本人と言えば、空手のイメージもあって、案の定、「空手はできるか」とも訊かれた。 登倉さんが太極拳の型をご披露すると、拍手が沸いた。

今日も、息子一人と赤穂さんを連れて漁に出たダマスさんは昨日よりも沢山の魚を採ってきた。 サシミにするように渡された魚は大きな青いコーラルフィッシュ。 鳥のくちばしのような堅い口で珊瑚を食べる魚だ。ダマスさんはその場でウロコを取ると腹は手で割き、内臓を出す。 三角の肝を取って手渡してくれた。これがとても美味しい。ウニのような濃厚な味がした。


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岩棚をお散歩。何時まで見ていても見飽きない景色。

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ダマスさんは耳がいい。こちらの話す日本語にすぐに反応する。「ウロコを取って下さい」と言うと「ウロコ、ウロコ」と復唱していた。


それからメンバーの格闘が始まる。 サシミ包丁があるわけも無く、歯のこぼれたナタと、アーミーナイフを駆使して三枚におろすのが、まず一苦労。 身が骨に沢山残ってしまうので、スプーンで削り落とす。 白身でタイのような魚なので、しばらく時間をおいた方が、身がしまってきて美味しいようだ。

魚のアラが出れば、日本人たるものダシを取りたい。お湯を沸かしてもらって、アラを入れて煮ることに。 茹でただけでは美味しくないだろう?味はどうするんだ?と多分訊かれたのだと思う。 メンバーが持っていたお味噌とダマスさんのお醤油、塩で味を調える。 ダマスさんファミリーは「すごく美味しい」と気に入ってくれたようだ。

沢山できたお刺身は、バナナの皮に載せて、ダマスさんたちの分を最初から取り分けて差し上げた。


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道具が不十分でもりっぱなお刺身が完成。皆さん流石です。

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共通の言葉はなくても、こちらの意図を汲んでくれる息子たち。


まだ10時にもならない。 木陰とはいえ、お刺身をこの日中、常温にさらしておくくらいなら、少し早いお昼にしたいところだが、 ダマスさんの「お昼ご飯は11時から」の一言でオアズケとなる。 バナナの皮やテーブルクロスで覆って虫の攻撃から食べ物を守る。

息子たち3人が浅瀬ではしゃぎだした。 小さな子供のように、海に飛び込み、顔に砂を塗りたくって真っ白にして、カメラの前でポーズをとる。 しばらくしてマダム・ダマスもひとり海に向かって歩き出した。 Tシャツのまま海に入り、沐浴といった感じ。このママは沢山、衣装を持ってきていて、見るたびにお色直しをしていた。


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赤穂さんはなぜか一人先にお味噌汁を飲んでいる。


木陰のリビングでの最後の食事は、メンバー力作のお刺身のほかに、ボイルした伊勢海老とヤシガニ。 丸ごとのヤシガニは歯が立たないので、息子の一人に割って欲しいとお願いした。 ところが、息子君でも上手に割れない。マダム・ダマスがトライしてもダメ。 そこへダマスさんが登場すると、食べやすいように綺麗に割れ目を入れてくれた。 これが一家の長の実力というものだろうか。

ヤシガニは伊勢海老よりも味が濃く、噛み応えもあって、それだけでも美味しいのだが、 さらにヤシガニの味噌に身をまぶして頂くと絶品。とても贅沢な昼食となった。

満腹になると食後のお茶が飲みたくなって、お湯を沸かしてもらう。待っている間、木陰で気持ちよいお昼寝。


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生きたヤシガニは綺麗な青色だが、茹でると真っ赤。

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極楽。


テントは昼食前に片付けてあった。ティア君が靴を履いている。ダマスさんもジーンズに着替えだした。 私たちも、いつでも出られるように準備をする。

ダマスさんからファミリーの写真を撮るように言われた。 50cm四方の四角を砂浜に描いて、「コレくらいに引き伸ばして送るように」という大変な注文も貰った。

この浜にはマダム・ダマスをはじめ、何人かは数日残るようだ。 その人たちに別れを告げて、ティア君を先頭に帰路に着く。 行きには3時間ほどかかった道のりを、2時間半程度で戻ってきた。


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ダマス夫妻と息子たち。

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3mの岸壁部分にはフィックスロープを張ってくれた。


後から他の息子たちも到着。 ダマスさんはまだ来ない。ザックはトラックに載せて「じゃ、ここから少し歩くから、ついて来て」と言う。

すぐに椰子の林に入った。息子君はあたりを見回して目を付けた1本の椰子の木に、するすると登りだした。 椰子の葉の上まで来るとナタを使って実を落とす。実にカッコイイ。

落とした実をナタで割って飲み口を作り、一人にひとつずつ渡してくれる。 椰子の実のジュースはその個体ひとつひとつが微妙に味が違う。シュワッとした感じの強さも実によって異なる。 飲み終わると実を二つに割って、中の白い部分をすくって食べる。ちょうど良くやわらかいものがやはり美味しい。

と、そこへ、ダマスさんが車に乗って現れた。 椰子の木に登った息子君が二つに割った実の白い部分がちょうど良くやわらかいものを、 キレイにすくってダマスさんにサッと差し出す。 ダマスさんは「ありがとう」でもなく、当然のようにつまんで食べる。

この良くできた息子たちは、ダマスさんが望むことが分かっていて、ダマスさんが命令する前に、素早く行動するのだ。 運転するダマスさんの隣に座って、ビールと言えば、プルトップを開けて差し出し、 空になったカンを返されれば、2本目も開けて渡し、 2本目の空カンを受け取っても、3本目は飲むかどうか分からないので、用意はしつつも、口を開けることまではしない。 ダマスさんが巻きタバコの袋をほおり投げてくれば、器用に巻いて、火をつけて差し出す。

親子の間に多くの会話は聞かれない。ダマスさんが言葉少なに指示をして、息子たちは黙ってその指示に従う。 よく統率の取れた集団の、ダマスさんはボスで、確かに実力も一番なのだ。


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この「椰子の実取りのショー」は、ダマスさんを待つ間、私たちが退屈しないように、という心遣いだろうか。


シャバドランから引き上げてくると、ダマスさんは、私たちの次の宿、ジット・セダイまで送り届けてくれました。 ジット・セダイに着いたころには夕方になっていました。 まるまる二日間付き合ってくれて、至れり尽くせりのお持て成しをしてくれたダマスさんは流石に疲れた様子でした。

マレ島滞在後半のジットセダイでも、素敵な人たちに出会いました。 その一人一人が皆、根っから心優しいのです。 後先を考えずに、そのときの一番を提供してくれる、とでも言うのでしょうか。 そして、そのお持て成しには何の下心も無く、見返りなどまったく期待している様子がありませんでした。

ダマスさんは「ヒザが痛いんだ」という仕草を見せました。あの体格ならうなずけます。 体を大事にして欲しいし、いつまでも元気でいて欲しいので、少し痩せてください、 と言いたいところでしたが、とてもそんな複雑なことをフランス語で伝えることはできませんでした。




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